百年の時を経て

近江懐石清元

清元の歴史

創業100年

初 代 清本浅太郎 
堅田港のほとりで川魚料理店 清元楼開業

2代目 清本信太郎 
雄琴温泉にて料理旅館として始める

3代目 清本昭三  
清元観光企発して、芭蕉園など多店舗化にする

4代目 清本糺   
有限会社 清元楼とする

5代目 清本健次

昭和42年生 高校卒業後、京料理の世界へ。京料理まる多 故丸田明彦を師事。故刀根盛治、故新宮章好を師事し研鑽を積む

平成17年 
京懐石・京割烹 清元 屋号変更してスタート

平成22年 
日本庖丁道清和四條流 第35代家元襲名 清本健盛

平成25年 
滋賀県日本調理技能士会 会長

平成28年 
近江懐石 清元 屋号変更

近江懐石 清元 店舗写真
山手から雄琴港を望む
山手から雄琴港を望む
屋形船で宴会が盛んな頃
屋形船で宴会が盛んな頃
料理旅館時のパンフレット(1970年頃)
料理旅館時のパンフレット(1970年頃)
琵琶湖文化館
白鬚神社
浮の堂
日本庖丁道 清和四條流
日本庖丁道 清和四條流

庖丁道の故事はいろいろと伝えられておりますが古くから宮中で正月を祝っておこなわれた儀式のひとつとされております。この儀式の様式は、鎌倉時代以降はさまざまに絵画や文字の上にその姿をとどめております。一般に調理人があらわれるのは室町時代からで、料理の流儀もこのころから始まったとされています。江戸時代から式庖丁は料理人の表芸となり、宮中においては1月19日、幕府では1月12日に、それぞれ天皇、将軍家の御前で厳粛に庖丁をするのが恒例の行事とされるようになりました。式庖丁にもさまざまな諸派、流儀が存じておりますが、清和四條流の祖は、新宮家初代、旧名源義盛新宮十郎であります。

日本庖丁道 清和四條流

義盛は清和源氏六条判官為義の十男に生まれ、幼少のころより熊野新宮別当のもとにあって源義盛の名を改め、新宮十郎と名乗りました。寿永2年(1183年)に入京し、従五位蔵人備前守に任じられ、八条院蔵人新宮備前守行家と名乗る新宮別当のもと諸事式作法を勉学、宮中にて諸式作法の要職を司るようになりました。
新宮家代々義房より行継まで11代165年間、従五位蔵人となり、初代行家の要職を継ぐことになります。四條流の伝統的な切り型には魚介類や鳥類、農産物など約50余種ありますが、奉納される御供物にはいっさい手を触れることなく、箸と庖丁を巧みに使い、切りあげ盛り上げます。

日本庖丁道 清和四條流