私は、この滋賀の地に生かされています。
琵琶湖という奇跡の湖は、滋賀の大地を潤し、魚を育み、田を実らせ、山を豊かにします。
その水が巡ることで、この地の食文化は形づくられてきました。
私は、その恵みを預かる一人の料理人です。
京料理で学んだ技と美意識を礎に、滋賀の食材を生かした“淡海懐石”を探求しています。
食材は、鮮度が良ければそれだけで良い、とは考えません。
たとえば琵琶湖の天然大鰻は、一週間ほど寝かせることで脂が馴染み、うまみが深まります。
素材を見極め、余計な手を加えず、最小限の仕事で食材の持つ最高の味を引き出す——
それが、私の考える洗練です。
当家は古くから琵琶湖畔の堅田で川魚屋を営んでおり、少なくとも明治34年にはその名が記されています。
のちに雄琴へ移り、料理旅館として歩みを進め、五十年前、料理界の革新者・丸田明彦氏の教えを受けて
「京懐石 清元楼」と名付けていただきました。
やがて、滋賀の地で京懐石を続けることに疑問を抱き、
この地の恵みを活かす“淡海懐石”へと舵を切りました。
懇意の琵琶湖の漁師たちからは、最上の素材が届きます。
北湖の深いうみから水揚げする琵琶鱒はしっとりと淡く、天然ならではの上品な味わい。
名人たちが魞(えり)漁や釣りで獲る琵琶湖の天然大鰻は、時に1メートルを超える大物揃い。
春には花山椒鍋に、脂ののる秋冬にはうなしゃぶとして、その力強いうま味をお楽しみいただけます。
料理には、それぞれに物語があります。
食べるときは一瞬ですが、その食材を探し、手に入れ、届ける人々の努力があり、
料理人がそれを仕立てるまでに、数多の時間と手間が重ねられています。
私は、その一皿に込められた人の営みと自然の恵みを、お客様にすべて伝えたいと思っています。
もし、そんなお話にご興味がありましたら、どうぞ気軽に声をかけてください。
すべて、余すところなくお話しさせていただきます。
心に残る味を、
この土地の滋味と美味を、
心と技を、これからも磨き続けてまいります。
<系譜>
| 初代 清本浅太郎 | 堅田港のほとりにて川魚料理店「清元楼」を創業 |
|---|---|
| 二代 清本信太郎 | 雄琴温泉にて料理旅館として再興 |
| 三代 清本昭三 | 「清元観光」を設立し、多店舗展開(芭蕉園など)を推進 |
| 四代 清本 糺 | 「有限会社 清元楼」を設立し法人化 |
| 五代 清本健次 | 近江懐石 清元 店主 |

<経歴・受章歴>
| 昭和42年(1967) | 滋賀県大津市に生まれる |
|---|---|
| 高校卒業後 | 料理の道に進み、京都・別府・伊勢などで修業を積む 京料理「まる多」故・丸田明彦氏、 「琵琶湖ホテル」料理長 故・刀根盛治氏に師事 |
| 23歳(平成2年前後) | 家業の旅館を継ぎ、割烹店へと転換 |
| 平成16年(2004) | NHK『人間ドキュメント 命刻む京料理』に出演、 京のおせち料理の継承が全国・世界で放送され反響を呼ぶ |
| 平成17年(2005) | 屋号を「京懐石・京割烹 清元」に改称し新たな出発 |
| 平成22年(2010) | 日本庖丁道 清和四條流 第35代家元を襲名、「清本健盛」として式包丁を継承 |
| 平成25年(2013) | 滋賀県日本調理技能士会 会長 就任 |
| 平成27年(2015) | 滋賀県技能者表彰「おうみの名工」受賞 |
| 平成28年(2016) | 屋号を「近江懐石 清元」に改称、 “滋賀のテロワール”を表現する料理へ進化 |
| 令和元年(2019) | 卓越した技能者表彰「現代の名工」受賞 |
| 令和5年(2023) | 黄綬褒章受章 代表作「清美なる湖國饗膳」を発表 |
<料理哲学>
京料理で培った技を礎に、滋賀の特産食材で織りなす“近江懐石”を創造。
淡海・琵琶湖を中心とした湖の幸、野の恵み、田の稔り、発酵の知恵、
そして山の幸ジビエまでを取り入れ、
季節感と風土を映す独創的な日本料理を追求している。
近江の茶、地酒、ワインとのマリアージュを通じて、
「この地でしか味わえない滋賀の美食文化」を未来へ伝えていく。